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広島高等裁判所 昭和48年(う)42号 判決

被告人 松尾武久 水野喬

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人両名の連帯負担とする。

理由

本件控訴の趣意は被告人両名及び弁護人阿左美信義、同相良勝美、同外山佳昌、同小牧英夫連名作成名義の控訴趣意書及び弁護人外山佳昌、同阿左美信義、同小牧英夫、同相良勝美、同佐々木猛也、同緒方俊平、同島方時夫連名作成名義の控訴趣意補充書(但し、第二及び第四の四結論中原判決後の事実に関する部分を除く。)に記載されたとおりであり、これに対する答弁は広島高等検察庁検察官検事高橋泰介作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらをここに引用し、これに対して当裁判所は次のとおり判断する。(控訴趣意第二章は原判決要旨とその問題点について述べたものである。)

控訴趣意第一章(本件公訴は棄却さるべきであるとの主張)について。

所論は、要するに、本件起訴は組合活動の弾圧のみを意図した違法不当なもので公訴権の濫用にあたり、原審は公訴を棄却すべきであつたのにこれについて審理判決したのは不法に公訴を受理したもので原判決は破棄を免れないというに帰する。

よつて案ずるに、記録を精査し当審における事実取調べの結果を参酌考量してみても所論のように本件公訴の提起が組合活動の弾圧のみを意図したものとは到底認められない。また後記のとおり被告人らは本件公訴事実について有罪と認められるのであるから、本件公訴の提起が検察官に与えられた裁量の範囲を逸脱したものであるとはいえないとして、公訴権濫用の主張を排斥した原判決の判断に所論のような過誤は存しない。論旨は理由がなく採るを得ない。

控訴趣意第三章(理由不備及び理由齟齬の主張)について。

所論は、要するに原判決が(弁護人らの主張に対する判断―以下判断と略称する―)第一の二の(二)の6において「しかしながら、放送会社の全機能は放送という一点に集約されているものであり、また、放送は常時継続していることがその生命ともいうべきものであるから、たとえ放送内容が必ずしも文化的教育的なものといえず、あるいは広告料等の実損がさしたるものでないとしても、約三〇分間もテレビ放送が中断されるに至つたということは、会社の信用失墜という点からいつて被害が些細であるとはいい難い。」としていることにつき、原判決は証拠にもとづかずして右の事実を認定して判断の基礎とした点において理由の不備があり、また判決の理由相互間に齟齬を来す結果となつており、これらの理由不備及び理由齟齬の違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるというにある。

よつて検討するに、所論の指摘する前記原判決の判示部分は(判断)第一の二の(二)1ないし6で認定した事実を基礎として、これに対する評価、価値判断の基準を示したものであつて、右基準の意味するところは「一つの意味内容をまとまつたものとして放映するテレビ放送番組は常時継続されることによつて初めて正しくその意味内容を視聴者に伝え得る。それゆえ、テレビ放送番組は常時継続していることが重要である」というにある。その基礎となる事実に関し証拠を要することはいうまでもないが、価値判断(ないしその基準)じたいは事実の認定ではないから厳格な証明の対象とはならない。ただその妥当性が問題となるだけである。原審証人内藤亮二、同米沢勝次郎、同岡村健二の各供述に、放送事業の特殊性、公共性との関連において、放送の継続の必要性を強調していることが認められ、このことは放送事業じたいの性質や放送番組は視聴者に広く予告されていることなどに徴し首肯することができる。しかも、この点に関し右の各証人らに対して弁護人側から詳細な反対尋問がなされているところでもある。してみれば、原判決が証拠によつて認められる事実にもとづいて前記の価値判断をしていることは明らかであり、所論のような理由の不備はなく、また理由の齟齬も存しない。なお、原判決は所論のいわゆる「放送の常時継続生命論」について判示しているのは、(判断)第一の二本件ピケにおける諸般の事情(二)の6において、本件被告人らの所為の結果を判断する過程において述べられているのであつて、それが被告人らの所為の違法性を判断する資料の一となつていることは勿論であるが、所論のようにいわゆる「放送の常時継続生命論」の判断だけが違法判断ひいて有罪判決の基礎となつているものではない。本件において原判決が被告人らに刑事責任を肯定したのは、争議行為におけるピケツテイングの正当性の限界を越えて、会社の業務を阻害したという被告人らの行為じたいにあることはその判文上明らかである。

以上のとおりであつて、所論にかんがみ記録を精査してみても、原判決に所論のような過誤あるを発見することはできない。論旨は理由がなく採るを得ない。

控訴趣意第四章(事実誤認の主張)について。

所論は、要するに(1)、(罪となるべき事実)一について、岡村部長はテレビマスター室に入つていないのであるから、被告人松尾は「スト破りをやめなさい。」といいながらVTR室側入口からテレビマスター室へ入室しようとした岡村部長をVTR室に押し出した事実はない。(2)、テレシネ室側入口において被告人水野が一旦ピケ外に引き出された後直ちにひき続いて管理職らがテレビマスター室に入室を試みた事実はなく、その後においても内藤部長らに対する説得は少くとも数分間効を奏していたのであつて、その後内藤部長が入室を試みたのは極めて形式的な接触であり、中本副部長が入室を試みたのは右の被告人水野引き出しの前の時点である。(3)、(罪となるべき事実)三について管理職らが引き揚げた後VTR室側、テレシネ室側の各入口においては組合員はそれまでと同様のピケを張り続けていない。右の諸点において原判決は事実を誤認したものであり、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるというに帰着する。

しかし、原判決挙示の諸証拠を総合すると、原判決が(罪となるべき事実)一ないし三として認定する事実は各所論の点をも含めて優にこれを肯認することができる。管理職である原審証人米沢勝次郎、同内藤亮二、同岡村健二、同水野卓治、同中本康郎、同篠田紀彦の各供述は大筋において概ね符合し、かつ他の諸証拠と対比して信用するに足る。なるほど右各証人らの供述の中には相互に一部くい違いがあり、あるいは矛盾するかにみえる個所があるけれども、これは争議中入室を阻止するためピケを張つている組合員らと、これを突破し入室しようとする管理職らとの接触の場において、多人数でしかも多少の動きのある中での短時間の出来事であり、また右各証人らが時間的、場所的に異なつて目撃していることなどによるもので、この点をとらえて各証人らの供述全体の信用性を否定し去ることはできない。なお、右各証人らが「ピケを張つていた組合員らは管理職らに対し背を向けていた」といい、あるいは「対面していた」と供述し、一見矛盾しているようにみえるけれども、原審における証人岡田清ならびに被告人水野の各供述によれば、ピケを張つていた組合員らは終始管理職らに背を向けた姿勢を保つていたものではなく、管理職らが入室を試みようとすればこれに背を向けて体を密着し合つてその入室を阻み、管理職らが引いた時には組合員らもそちらを向いて、口々に「団交を開け」などと発言したことが認められるのであつて、前記各証人らが目撃した時点においてそれぞれ異なつた状況を見ているのであるから、前記の点については矛盾するものではない。所論は司法警察員作成の検証調書に添付された写真は検証に立会つた管理職らが本件当時の模様を指示説明し、捜査官が一方的に作成したものであるが、VTR室側入口の状況を撮影した同写真35ないし37によれば、岡村、水野、中本の三名ともテレビマスター室(控訴趣意書にテレシネ室とあるのはテレビマスター室の誤記と認める。)に立ち入つていないことが明らかであつて、入室しないものを押し出すことはあり得ないというけれども、右の写真35ないし37は押し出された時の状況を再現した写真であることは、右検証調書中の検証の経過四、立会人の指示説明1、立会人中本康郎の指示説明の項(記録一七七三丁裏面以下)から明らかであつて、右の各写真をもつて岡村らがテレビマスター室に立ち入つていないとする所論は到底首肯し難い。また所論はテレシネ室側入口において被告人水野がピケから引き抜かれた後管理職らは連続してテレビマスター室への入室を強行しようとする動作を示しておらず、内藤部長が引き揚げる直前入室の意思をもたない形式的な接触を試みたに過ぎないというけれども、原審証人秋田憲吾の「米沢さんとやりとりをしておつたら、後でガタンと音がしたわけですね。ぼくも指導している手前気になつたものですからぱつと振り向いたら、水野君が手を持つて引つ張り出されておりました。よく見ると近くにあつた黒板が落ちておつたわけです」(記録三五五四丁裏面)という供述と、検察事務官作成の現場写真引伸処理報告書添付の写真3ないし5(原審証人米沢勝次郎の供述により、同人が本件当時撮影したものと認められる。)ならびに右各写真に写された人物を説明した前記管理職証人らの供述部分を総合すると、被告人水野がピケから引き抜かれた後において管理職らがテレビマスター室に入室しようとする努力をしていることを認めるに十分である。更に管理職らが一せいに会議室へ引き揚げた後における前記テレシネ室側入口におけるピケの状況について、原審証人岡田清は「みんなちよつと白けて、どうしてみんなひきあげたのかなという唐突な感じがしましてね。逆にいえば、会社が何か考えとんかなというふうなちよつと不安感みたいなものがありまして、その場所へずつと後向きじやなくて、もうみんな帰りましたんで、大体みな前向きになつて、そのままの姿勢でだべるか何かして時間をつぶしていたと思います。」(記録三六五八丁)と供述しており、一方VTR室側入口に関し原審証人大林昇司は「私が、一応待機の状態でみんながそのままの位置におるときに(二)(VTR室の廊下側出入口)あたりまで見回りに出たりはいつたりしておりました。」(記録三六九四丁)と供述しているのであり、右の各供述から認められるとおり、組合員らは管理職らが各入口からのテレビマスター室への入室を断念して引き揚げた後も、会社側が如何なる態度に出るかとの気持で前記両入口でピケを張り続けていたのであるから、原判決が右両入口において組合員らは右同様のピケラインを張り続けと認定したことに誤りはない。なお、原判決がその判文中において「テレビ番組放送を中断させ」といい、あるいは「テレビ放送が中断」「テレビ放送を中断」と述べており、かつ「電波の中断」、「放送の中断」、「放送番組の中断」なる用語がそれぞれ異なる概念であることも所論指摘のとおりであるが、原判決は(罪となるべき事実)の部分において、正確に「テレビ番組放送を中断させ」と表現しているのであつて、これと原判決が(証拠の標目)として掲げる各証拠に照らすと、原判決が(判断)の部分において「テレビ放送の中断」と表現しているのが「テレビ番組放送の中断」の趣旨であることは明らかであり、この点に関する原判決の表現は用語の使用の正確性に欠くるところはあるけれども、所論のように概念を混同したものであるとまではいえない。原審及び当審における被告人両名の各供述ならびに原審証人大林昇司、同秋田憲吾、同岡田清の各供述中原判示認定に反する部分はその余の証拠と対比し到底その信を措くことができない。他に原判示認定を左右するに足る証拠は存しない。結局原判決が(罪となるべき事実)として認定したところはいずれも相当であり、所論にかんがみ記録を精査してみても、原判決の証拠の取捨選択や事実認定に所論のような過誤あるを発見することはできない。論旨は理由がなく採るを得ない。

控訴趣意第五章(法令の解釈適用の誤りの主張)について。

所論は先ず、原判決が事実を誤認しひいて法令の適用を誤つたというけれども、原判決が挙示する関係各証拠に当審において取調べた各証拠(被告人両名の各供述、証人羽原幹男の供述)を総合すると、原判決がその理由中(本件犯行に至る経緯)第一及び第二において認定する諸事実は優にこれを肯認することができる。そして、原判決が(罪となるべき事実)として認定するところも優に肯認することができることは前段説示のとおりである。してみれば、所論はすでにその前提を欠き理由がない。

そこで、本件所為は労働組合の正当な争議行為に属するにもかかわらず、これを違法であるとした原判決は憲法第二八条、労働組合法第一条第二項の解釈適用を誤つたものであるとする所論について検討する。

一、ピケツテイングの正当性の限界についての当裁判所の基本的見解

最高裁判所は夙に「同盟罷業は必然的に業務の正常な運営を阻害するものではあるが、その本質は労働者が労働契約上負担する労務供給義務の不履行にあり、その手段方法は労働者が団結してその持つ労働力を使用者に利用させないことにあるのであつて、これに対し使用者側がその対抗手段の一種として自らなさんとする業務の遂行行為に対し暴行脅迫をもつてこれを妨害するがごとき行為はもちろん、不法に使用者側の自由意思を抑圧し或はその財産に対する支配を阻止するような行為をすることは許されないものといわなければならない。されば労働争議に際し、使用者側の遂行しようとする業務行為を阻止するため執られた労働者側の威力行使の手段が諸般の事情からみて正当な範囲を逸脱したものと認められる場合には、刑法上の威力業務妨害罪の成立を妨げるものではない。」(最高裁判所昭和三三年五月二八日大法廷判決、刑集一二巻八号一六九四頁参照)と判示し、以後最高裁判所累次の判例はいずれもこの立場を踏襲している。当裁判所もこれを相当として支持する。なお、その行為について刑法上の違法性阻却事由の有無を判断するにあたつては、その行為が争議行為に際して行われたものであるという事実をも含めて、当該行為の具体的状況その他諸般の事情を考慮に入れそれが法秩序全体の見地から許容されるべきものであるか否かを判定しなければならないことはいうまでもない。(最高裁判所昭和四八年四月二五日大法廷判決、刑集二七巻三号四一八頁参照)ところで、原判決は(判断)において、ピケツテイングの正当性に関する一般論として、会社側が管理職により自ら操業しようとする場合、これをしないように説得する以上に実力を行使することは原則として許されないとしながら、「諸般の事情を考慮し、管理職らの代替就労によりストライキが全くその実効を失うものとなるとき、社会通念上相当と認められる限度において会社側に対し少くとも説得の場を確保するため、暴力の行使に至らない限り、ある程度の実力を行使することもやむをえない措置として違法性を欠く場合がある。」とし、本件は管理職の就労によりストライキが全くその実効を失うことが明らかな場合であるから、組合側が右管理職らに対し翻意を求め説得の場を確保するために必要な限度において、ある程度の実力的行動をとることもやむを得ない状況であつたとして、前記の基準に従い、諸般の事情を検討したうえで違法性に関する判断をし「罪となるべき事実に記載する犯行に先立つ行為」、(以下「先行行為」という)と「罪となるべき事実」を区分し、前者は違法性がないが、後者は違法性があると判断した。

すなわち、原判決は前記最高裁判所判決のいわゆる平和的説得論の基本的立場を原則として維持しながらも、例外として管理職の就労がストライキの実効を全く失わせるときに、更に正当防衛ないし緊急避難類似の考え方を定式化して実力行使正当化の判断の基準を設定している。しかし、管理職の就労がストライキに及ぼす影響、効果も当裁判所が是認する前記の違法性判断の基準を適用する際検討すべき「諸般の事情」の中に当然含まれる事柄である。原判決のように「管理職の就労がストライキの実効を全く失わせるとき」を特に取り上げて実力行使正当化の判断基準を設ける必要はない。とりわけ、本件のように後記のとおり、管理職の就労によつてストライキの実効が全く失われるとまでは認められないばあいは尚更である。それゆえ、さきに当裁判所が是認した違法性判断の際に考慮しなければならない諸般の事情の一としてこれを検討すれば足ると解する。

原判決が「先行行為」とするところと、「罪となるべき事実」は一連の行為として、一応威力業務妨害罪の構成要件に該当すると解される。(原判決の説示は構成要件該当性判断と違法性判断とを混同したきらいがある。)当裁判所はこれについて前記の違法性判断の基準に従い諸般の事情を検討する。

原判決が(判断)第一の二、本件ピケにおける諸般の事情(二)の1ないし3、5、6において説示するところ(原判決一二枚目表の五行目「一貫」とあるのは「一環」の誤記と認める)は、当裁判所が前記の基準に従い検討する諸般の事情と同一であり、その結論も概ね相当として支持することができる。

以下諸般の事情について問題となる若干の点について検討を加える。

二、本件における管理職の性格とその代替就労の性格

原判決は(判断)第一の二の(二)の1において本件管理職の性格について、同3において管理職らの就労の性格について説示しており、右に関する原審の事実認定や判断は当裁判所も概ねこれを相当として支持することができるが、当審における事実取調べの結果をも加えて若干説明を加える。中国放送労働組合(本件当時はラジオ中国労働組合と称していた。以下単に組合という。)の組合規約上、本件当時は会社職員のうち副部長待遇以上は管理職とされ、組合員資格を有しなかつたところ、株式会社中国放送(昭和四二年四月一日以前はラジオ中国と称した。以下単に会社という。)は昭和三七年三月の機構改革において従来明文化されていなかつた副部長職を制度化し、いずれも組合員である二四名の職員を副部長ないし副部長待遇に昇格させ、翌三八年二月にも同様一二名を昇格させ、その後もいわゆる管理職への昇格は漸増を重ね、昭和三七年一月当時局長四名、室(社長室)長一名、部長八名(但し本社関係のみ、兼任は除き実数を示す。以下同じ。)であつたものが、昭和四二年一月においては、局長五名、室(審議室)長一名、部長一九名、副部長一二名、副部長待遇五名と管理職が大幅に増員されている。(右各年度の職員名簿によつて認める。)会社の働きかけにより課長は順次組合を脱退し、本件当時課長職の組合員は皆無であつたこと、会社業務の一部を下請会社に委託したり、女子職員を嘱託職員とするなど会社のとつてきた一種の労務対策などをも併せ考えると、右の管理職の増員は会社の組合対策の一環としての意味をも有し、昭和三七年以降ストライキの都度これら管理職を含むいわゆる職制らにより臨時組織をつくつて代替就労し、ストライキの効果を著しく減殺したことは否定することができない。しかし、一方会社側のいう業務そのものの拡大、複雑化による制度改革の必要性や、会社に高学歴者が多く、社歴の長い者の優遇の必要があつたこともまた否定できない。

所論は、会社の部長、副部長は本来の管理職としての職務権限は何ら有していないから、労働関係法上の管理職ではないという。なるほど前述のように大幅な管理職の増員があり、それが組合対策の一環としての意味をも有するものではあるが、そのことじたいは会社の労務対策の姿勢を評価する資料の一とはなり得ても、昇格した管理職らじしんが労働関係法上のいわゆる管理監督的地位にある管理職であるか否かを決する資料とはなし難い。職員名簿(昭和四二年一月一日現在及び同年一二月一日現在のもの)により認められる当時の会社の組織、人員構成などを総合すれば、本件当時の部長、副部長らはおおむねいわゆる管理職に該当するということができる。当審において取調べた広島労働基準監督署長労働基準監督官湯浅克己作成の会社宛指導票(写)によれば「会社の副部長は労働基準法第四一条第二号に該当する管理監督の地位にある者とは認め難い。部長についてもすべての部長が右の管理監督の地位にあるものとは認め難い。」と指摘しているけれども、右指導票は昭和四九年六月一一日付で出されたものであり、当時(昭和四八年及び同四九年)の職員名簿によれば、会社は五局、三室に局長、室長のほか専任の局次長が一ないし二名(昭和四九年にはそのほか部長格の局付三名)配置されており、専任の部長は一二名と減少し、副部長は四二ないし四四名と激増しており(いずれも本社関係のみ)各部に殆ど複数の副部長が配置されており、部によつては四ないし五名となつているのであつて、本件当時に比べその組織機構、人数とりわけ副部長の数において著しく様相を異にしているから、右の指導票をもつて直ちに本件当時の部長、副部長の権限を云々することはできない。そして争議の際組合側のストライキに対抗して会社側において自ら操業する自由を有することは前述のとおりであつて、本件争議に際し、会社の指示に従い管理職らが就労しようとしたことじたい前記の事情を考慮してもなお会社の正当な操業の自由の範囲内といわれなければならない。本件においてテレビマスター室に入室を試みた管理職は人事部長内藤亮二、総務局庶務部長米沢勝次郎、テレビ局進行部長為末裕敏、技術局技術管理部長岡村健二、同副部長水野卓治、同局テレビ技術部長篠田紀彦、同副部長中本康郎(原判決に岡村、水野、篠田中本につきテレビ局とあるのは昭和四二年一月一日現在、及び同年一二月一日現在の各職員名簿ならびに同人らの各供述と対比し、技術局の誤記と認める。)らであるが、右のうち内藤と米沢を除くその余の者はいずれも現業部門に属する者であり、篠田、中本はテレビマスター室を直接監督する立場にあつて、とりわけ中本はテレビマスター室にその定席を持つているのであるから、篠田、中本に関しては本来の管理職としての職務に属するということができる。しかし他の管理職らについてはテレビマスター室内での就労はその本来の管理的職務を担当しようとするものではないから、これらの者の代替就労は従業員中の非組合員による職場代置と同様な性格をもつと考えられ、組合員が組合の団結を破つて就労する場合とか、企業とは無関係な第三者がストライキ中に臨時に雇われてスト破りをおこなう場合とはその性格を異にし、所論のようにストライキ中に臨時に雇傭されるスキヤツプに近いものという評価はあたらない。

三、会社の労務対策と本件争議当時の姿勢

会社が昭和三七年三月機構を改革するとともに大量の管理職への昇格人事をおこない、その後も管理職は増加の一途を辿つたこと、課長職に働きかけ結局課長全員を組合から脱退させたこと、会社業務の一部を下請会社に委託し女子従業員を嘱託に切り替えるなどの会社の一連の労務政策についてはすでに前段に説示したとおりである。そして昭和三七年以降は争議に際しストライキがおこなわれると、その都度いわゆる職制をもつて臨時組織を編成して代替就労させ会社業務を遂行する態勢ができ、そのころから会社は他社の回答が出そろつてから自信のある回答を出すことを狙つたものと説明して、組合の要求に対しいわゆる一発回答方式をとつてきた。本件争議の経過については、原判決が理由(本件犯行に至る経緯)第一本件争議の経過として認定しているとおりである。本件昭和四二年の夏期闘争中本件の発生した同年六月二一日までの間、四回団体交渉が開かれたが、第一回の五月二九日は組合側の要求趣旨説明であり、第二回の六月六日、第三回の同月一六日は団体交渉は開かれたものの、早期回答の拒否等に終り、要求に関する実質的な話し合いは持たれず、同月一九日の第四回の団体交渉において会社側は回答案を示した。その間組合側はたびたび団体交渉の開催を要求したが、伊藤労務担当重役の病気あるいは出張中その他の理由により会社側はこれを断つている。右の会社側の回答案の要旨は、夏期一時金組合員平均二二万七、〇〇〇円の要求に対し、組合員平均一四万一、九一九円を支給する。査定撤廃の要求に対し、従前の査定幅を更に拡大して最低を四、〇〇〇円、最高を一万六、〇〇〇円とし、三、〇〇〇円の差で五段階とする。その余の要求はすべて拒否するというものであり、とりわけ査定幅の拡大という点について組合側は強く反発した。組合側は翌六月二〇日、更に二一日と団体交渉を要求したが、会社側は伊藤重役が多忙であるとし、あるいは同人が日帰り出張であるとの理由でいずれもこれを断つた。以上のような経過に徴すると、会社が従前とつてきた労務対策の点もさることながら、本来労使対等の立場において、労働条件等を決すべき団体交渉に対する会社側の姿勢には、誠意と熱意に欠くるところがあつたのではないかとの疑念は払拭できない。

なお、所論は、原判決が「本件当日、伊藤労務担当重役が社用のため日帰り出張する事実が虚偽であるとの証拠はないのであるから、会社側において団交開催を断つたについて一応理由があるということができ……」とする点を非難し、伊藤労務担当重役が日帰り出張したというのは虚偽である、仮りに事実であるとしても団交拒否の口実であるというけれども、原審証人内藤亮二の供述によれば、当日伊藤労務担当重役は呉支局長の社宅建設用地の視察のため厚生部長を帯同して呉へ出張したというのである。一方当審において取調べた株式会社中国放送昭和四二年度(同年四月から九月までのもの)総勘定元帳一六〇丁ないし一六二丁(総務局旅費科目)によると、伊藤労務担当重役に対する同年六月二一日の呉出張の旅費支払の記帳がないことは明らかであるが、右総勘定元張によれば、役員と役員以外のいわゆる管理職や一般従業員との間に出張旅費に格段の差異があること、右の期間中、役員が呉へ出張したことの記載が皆無であることが認められるのであり、開設間もない呉支局へ昭和四二年四月から六か月間役員の出張が一回もないということも不自然であることや、呉が本社から近距離であること、伊藤が役員であることなどからすれば、右の勘定元帳に旅費支払いの記載がないことの一事をもつて、六月二一日に伊藤労務担当重役の呉出張が虚偽であると断ずることはできない、また団交拒否の口実であるとすることもできないから、原判決の前記部分の判断が不当であるとまではいえない。

四、前述の経過のもとに、組合は同四二年六月二一日団体交渉拒否に抗議し、第二次回答についての団体交渉を要求するためストライキに突入したが、右は会社との争議を前提として、組合の決議にもとずきなされたものであるから、これが労働法上の争議行為にあたることはいうまでもない。本件ピケツテイングは、これに付随して管理職らがストライキに際し放送業務を代替就労することに抗議し、かつその中止を説得することを目的としたものである。前記二、三において述べたような会社の労務対策、本件争議の経過、ならびに管理職の数、その執務能力や代替業務の内容、争議が使用者に与える心理的影響などを考慮すると、管理職らの代替就労によつて、本件ストライキは全くその実効を失うとまではいえないが、少くともその効果を著しく減殺されることは否定できない。前記の当裁判所が是認するピケツテイングの正当性判断の基準を念頭において、本件の具体的事実関係を検討すると、ストライキに突入し、組合員らがテレビマスター室の廊下側、VTR室側、テレシネ室側の三個所の入口にピケを張つた際、組合幹部の指示により、いずれもマスター室側入口に向つて体を密着させて管理職らの入室を阻止し、一部の組合幹部が管理職らの説得にあたる姿勢をとつていたことが認められる。当初VTR室側入口において管理職岡村らが、テレシネ室側入口において篠田、中本らが入室を試みたときピケを張つている組合員らが互に体を密着させてこれを阻止し、「スト破りをやめろ」「団交を聞け」などと説得したまでの行為はさておき、少くとも管理職らがいずれも組合側の説得に応ぜず強行入室の姿勢を示し、VTR室側入口において岡村がピケを張つている組合員とドアーの間を横向きになつて約五〇センチメートル位テレビマスター室に入室したのを被告人松尾が室外に押し出した行為は積極的な排除行為であり、一方テレシネ室側入口において内藤、篠田が被告人水野を実力で引き抜き、更に管理職らが強行入室しようとした時点においては、管理職らに組合側の説得に応ずる意思のないことは明らかであり、組合側においてもこれを十分認識し得た状況であつたから、同入口における管理職らの入室を阻んだ行為は平和的説得の範囲を逸脱した暴力の行使であり、明らかに違法な行為といわなければならない。テレシネ室側、VTR室側両入口において、その後引続いてなされたピケツテイングについても同様平和的説得の範囲を逸脱したとの評価を免れない。前記のような諸般の事情と法秩序全体の見地からすれば、右のようなピケツテイングによつて管理職らのテレビマスター室への入室を阻止し、その結果テレビ放送番組を約三〇分間にわたり中断させた所為は、到底許容されるものでないことは明らかである。(この点に関し、所論が引用する最高裁判所昭和三一年一二月一一日第三小法廷判決、最高裁判所昭和四五年六月二三日第三小法廷決定はいずれも事案を異にし本件に適切でない。)弁護人は弁論において、本件ピケツテイングは開始から終了に至るまで連続した行為であつて、本来社会的に一個の行為として把握さるべきものであるにもかかわらず、原判決は行為の正当性判断の基準である「諸般の事情論」を適用するにあたり、これを敢て二分し、前半部分は説得の場を確保するため必要やむを得ない防衛的、消極的行為として争議権の正当な行使であると認めながら、これに連続する後半の行為については積極的な実力行使ないし説得が効を奏しないことが客観的に明らかになつた後の行為として違法な行為と判断している点を非難する。しかし一連の集団組織行動であつても、違法性評価の見地から、その行為の態様を仔細に検討してみて、ピケツテイングの正当な範囲を明らかに超えた段階に達したと認められるとき、始めてそれを違法とすることは何ら不合理とすべきかどはない。それゆえ、連続した行為を二分してこれに異なる評価を与えたからといつてこれを不合理とばかり非難することは当を得たものではない。

以上のとおりであつて、被告人らの行為じたいは僅かに入室した管理職を押し出したこと、組合員らが互に体を密着させ、相手に背を向けた態勢で管理職らの入室を阻止したというもので、押し出し行為は積極的行為とはいえさほど強度なものでなかつたとしても、争議行為の正当性の範囲を逸脱し、結局実力によつて会社業務を阻止せしめた点は決して無視することはできない。原判決が(判断)第一の最後の部分において「殊にテレビ放送を約三〇分も中断させたという事実は決して無視することはできない」と述べているのも右の趣旨で説明しているのであつて所論のいうように放送の常時継続性と直接結びついたものではない。

叙上のとおりであつて、原判決が「管理職の就労がストライキの実効を全く失わせるとき」を特に取り上げ、実力行使正当化の判断の基準とし、かつ「本件の管理職の就労により全くストライキの実効が失われた」とした点において、原判決は法令の解釈適用を誤り、かつ事実を誤認した違法があるけれども、被告人らの(罪となるべき事実)の所論が威力業務妨害に該当し、かつ違法性を有するとして、刑法第二三四条、第二三三条を適用しているのであるから、右の誤りは未だ判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえない。所論にかんがみ記録を精査して検討してみても、他に原判決に所論のような事実誤認や法令の解釈適用の誤りがあることを発見することはできない。論旨はいずれも理由がなく採るを得ない。

よつて、刑事訴訟法第三九六条により本件各控訴を棄却し、当審における訴訟費用は同法第一八一条第一項本文第一八二条を適用して全部被告人両名の連帯負担とし、主文のとおり判決する。

(裁判官 宮脇辰雄 野曽原秀尚 岡田勝一郎)

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